パチンコの歴史
パチンコの歴史
1900年代
パチンコのルーツとされる「ウォールマシン」大正時代に誕生した一銭硬貨をはじき景品を獲得するゲームが原型とされる。当時は子供向け遊戯。
1930年、最初のパチンコ店が名古屋で開店。
1937年、日中戦争勃発。
戦時特例法によりパチンコ店の新規開店禁止。
現在のパチンコと同じ鋼球式のパチンコが登場。
1941年、太平洋戦争勃発。
1942年、パチンコの全面禁止。パチンコ店は閉店し台は処分される。
1945年、終戦。
1946年、禁止されていたパチンコ復活。
1948年、「正村ゲージ」が登場。
正村ゲージ1949年、丸新物産(現:ニューギン)が名古屋市で設立。
1950年、竹屋商会(現:竹屋)が春日井市で設立。
1951年、ソフィア(西陣)が桐生市で設立。
1952年、京楽が名古屋市で、大一商会が愛知県(現在の北名古屋市付近)で設立。
1955年、モナミ商会(現:三洋物産)が名古屋で設立。
1958年、藤商事が大阪市で創業(法人としての藤商事設立は1966年)。
1960年、「チューリップ機」が登場。平和が桐生市で、豊丸が名古屋市で設立。
1966年、三共(SANKYO)が名古屋で設立。
1973年、太陽電子(現:タイヨーエレック)が名古屋市で設立。
1975年、間寛平の「ひらけ!チューリップ」が100万枚の大ヒット。サミーが東京都で設立。
1979年、「パチンコの日」制定(毎年11月14日)。高尾、三星(現:サンセイR&D)が名古屋市で設立。
1980年、現在のデジパチの基本である「三共フィーバー」が登場。
1981年、現在の羽根モノの基本である「ゼロタイガー」が登場。
警察庁がフィーバー機の大当たり時に開く大入賞口開閉時間を30秒×10ラウンドに規制。
1983年、大同(現:ビスティ)が東京都で設立。
1984年、フィーバー機の大当たり時の大入賞口開閉時間を15秒×10ラウンドに規制強化。
1985年、保安電子通信技術協会によるパチンコ機の検定制度開始。
1986年、「全国パチンコ・パチスロファン感謝デー」制定。
1988年、警察庁が「CR機構想」を発表。日本レジャーカードシステム設立。東洋商事(現:フィールズ)が名古屋市で設立。
1989年、日本遊技関連事業協会設立。
1990年代、このころ車に置き去りにされた子供の熱中症事故が問題視され始める。
1992年、最初のCR機「CRフラワーショップ」が登場。
1993年、「ダービー物語事件」。
2000年代
2004年、風営法規則改定。新基準機が登場。パチンコの種区分が廃止。確変割合の上限(50%)撤廃、1/500以上まで大当り確率が緩和。
2005年、1/500以上まで緩和された大当り確率が再び規制され、1/400以上となる。
2006年、規則改定。
2006年5月、風営法改定。閉店前やトラブル時の出玉保証の禁止、明らかに18歳未満と分かる者を入場させたパチンコ店に対する罰則規定などが盛り込まれる。
2006年7月、「みなし機」の完全撤去[14]。
2006年8月8日、有限責任中間法人遊技産業健全化推進機構設立。
2007年4月、有限責任中間法人遊技産業健全化推進機構が「誓約書」を提出した全国のパチンコホールに対して、「随時・不通知」の立入検査を開始。
参考Wikipedia
